ダイヤモンド ‐中山璃音

『引退ブログ』

こんにちは。
慶應義塾大学文学部4年ならびに体育会女子バスケットボール部の中山璃音(CN:ウミ)と申します。

毎年この時期になると、バスケ部の先輩方の引退ブログだけでなく、関わりのなかった部活の顔も知らない先輩方のアツい引退ブログまでをも読み漁っては、時には電車で涙ちょちょぎれながら活力をもらっていた私が、いざ自分が書く順番になると、”ふうん、こんな感じかあ”と、なんだか実感が湧かないような気持ちです。
最後のブログに何を書こうか考える中で、自分の16年間のバスケ人生を思い起こしてみました。
中でも大学での4年間は、長期の怪我も大きな苦悩や葛藤も思いつかず、元々の楽観的な性格もあるかもしれませんが、ずっと幸せな環境でバスケをやらせてもらっていたのだなと気付かされております。

伝えたいことはたくさんありまして、体育会バスケットボール部の好きなところ、高校生に入りたいと思ってもらえるであろう魅力、関わってくださった全ての方々への感謝、可愛い後輩たちへのエールなどなど…
ですが、絶賛卒業論文執筆中で、物事をできるだけ長い言葉で遠回しに比喩を乱用して文字数を稼ぐための文章ばかり書いている私が、これらを全て書くと字数オーバーになってしまいます。
そのため、僭越ながら今回は、私が体育会の4年間でたくさんの人と出会う中で、一回り人間として大きくなれたことを書き残す形で、この部の魅力、感謝、激励をお伝えしたいと思います。
偉そうなことを言っていますが、まだまだ成長の余地しかない者の文章となっています。
温かく最後までお付き合いいただけますと幸いです。

私は、入部してすぐの新入生インタビューで今後の意気込みを「スキルだけでなく人としても成長する」と掲げていました。
出身高校で大切にされていた言葉に「ダイヤモンドはダイヤモンドでしか磨けない」というものがあります。
これは、人は人に磨かれて輝く、高いレベルでこそ磨かれるというものです。
中高の部活は上下関係や目標が優しかったこともあり、大学入学当初の私は、自分はこのままでは社会に出られないほど甘ちゃんであると自覚していました。
大学でも部活動に入るような忍耐ある人々の中に入れば、自分もダイヤモンドのように輝く人になれるのではないか。
これがバスケ部に入部した大きな理由でもあります。
この選択は間違っておらず、体育会バスケットボール部はそれを達成するのに申し分ないとても贅沢な環境でした。
活動する中で、OB・OGの方々、大人のスタッフの方々、先輩、同期、後輩、他部活の方々、他大学の方々などたくさんの素晴らしい方々との出会いがありました。
立場は違えど、真剣に向き合い的確な言葉をくださったり、熱い想いを真面目に言い合えたり、自分にはない刺激をもらったり、人との出会いが自分を成長させてくれたと感じています。

まずは、自分の考えや気持ちを発信することの意義を学んだように思います。
私は自分の考えが他の人と違う場合は言わずに飲み込むことが多かったですし、自分の気持ちを話そうとすると泣きそうになってしまうタイプです。
基本的に人は変えられないと俯瞰してしまっている面もあると思います。
高校まではそれでも問題がなかったのですが、大学の部活では違いました。
チームが強くなるために、ミスをした時に自分が悪かったかと相手に何も言わないのではなくてこうしてほしかった、もっとこうするべきと伝える必要があること。
何も言わない私に「自分が頑張ればいいは自惚れだ。」と教えてくれた先輩もいましたし、「違う意見を言うことよりも自分の意見を言わない方が相手に失礼になると思う。」と言ってくれた同期もいました。
人を変える変えられないではなく、チームのために良くなるなら言わなくてはいけないこと、異なる意見も発信することで既出の意見がよりいい考えになったりいいとこ取りの意見になったりすること。
当たり前すぎることを恥ずかしながら大学生になって学ぶことができました。

先日、歴代の先輩方から引退時にいただいた手紙を読み返していたのですが、そこには「りおんはミーティングであまり発言しないと聞いていたけどそれではダメだよ」「同期の意見を聞くことが多いなら緩衝材になれる」などの言葉が多く書かれていました。
信じられないかもしれませんが、4年かけてミーティングを”ぶん回す”話し合いが好きな人間になっていました。(最終学年は主将だったこともあるかもしれませんが)
この部には、私のどんなに突飛な考え、熱い気持ちを話しても否定せず真剣に受け止めてくれる人しかいなかったという環境のおかげも大きいです。

一番ミーティングした同期ありがとう

次に、バスケをすることが誰かのためになったこと。
体育会に所属しているとたまに耳にする、「どうして体育会なのか」という疑問。
入った理由やきっかけはどうであれ、続けてきたのは、誰かのためになりたい、恩返しがしたいというのが一番の理由でした。
中高では流れでバスケ部に入りましたし、自分がプレイできて試合に出られればいいくらいの軽い気持ちの、自分がしたいからする自分のためのバスケでした。
大学から慶應に入り出会ったOB・OGの方々は、ほとんど無条件に、私たちのことを自分のことのように本気で応援してくださいました。
そうしてくださるのは私にとって、両親や親戚以外に初めての存在でした。
試合や集会で声をかけてくださることはプレッシャーではなく励みになっていましたし、結果で日頃の恩返しがしたいと活力になっていました。
また、もちろん両親の存在も大きかったです。
義務に近かった高校の部活ではなく、自分で選んだ大学での部活を様々な面でサポートしてくれ、いつも遠方の試合でも応援に来てくれて、家でもビデオを見返してくれる父、母、兄にもっといいプレイを魅せたい、勝って喜んでもらいたいと思う気持ちも自分の頑張る源でした。

何より、自分以外の多くの方々の想いを背負ってプレイしている実感が大学では強くありました。
自分が試合に出られて、自分がいいプレイをできればいいという考えは元々ありませんが、改めて試合に出ている5人だけでプレイするわけではないことを実感しました。
前述のOB・OGの方々、両親だけでなく、スカウティングをしてくれて、コピーチームを作ってくれて、決めれば立って喜んでくれて、ずっと叫んで応援してくれるチームメイトも、多大な時間を私たちに使って懸けてくれるコーチ、スタッフ陣も、こんなにも誰かの想いを繋げてプレイする経験は体育会でしかできない貴重なものだったと思います。
今シーズンのスローガン、想繋にはまさにそんな意識をチームとして持ちたいという気持ちがありました。

浸透しなかった想繋ポーズ

最後に、責任があること、責任を持たせてもらえることがありがたくて幸せだということに気がつけたことです。
大学入学当初、嫌いなものベスト3を、雨、プレゼン、責任と答えていた私は、大学まで責任からできるだけ逃げていたため、小中高のバスケ部でも主将ではありませんでしたし、バスケ以外でも代表などはやったことがありませんでした。
その中で最終学年で主将を任せてもらったとき、チームに対する不安不満、自分が主将をする上で感じるマイナスなことは口に出さないし思わないと誓っていました。
しかしこの1年間を終えたとき、思い起こせばそんな覚悟をすっかり忘れていたほど、後ろ向きな気持ちになることはなかったように思います。
初めは、主将とかCAPとか言われるのが恥ずかしくて、キャプテンを呼ばれてすぐに名乗り出られないようなこともありましたが、周りの方々のおかげで1年かけて本当の主将にしてもらったなと感じています。
大事な決断を任せてくださったり、最後に意見を聞くことで主将として“立てて”いただいたり、「主将ぽい」「主将でよかった」と言葉をかけてくださったりしたことも自信になっていました。
ユニフォームの4番という数字は、慶應のキャプテンとして恥じないプレイをしなくてはと思わせてくれ、常に私を奮い立たせてくれました。
あんなに責任が嫌いだった私が、責任という重みに幸せを感じるようになっていました。
私がチーム2025の主将ですと自慢したくなるくらいに、このチームの責任なら背負えるだけ背負おうかなと思えるくらいに、大好きなチームだったのだと思います。

主将として話す最後の円集合

長々と自分の自慢のように書いてしまいましたが、改めて、人として大きくなれたこの体育会バスケ部での4年間は恵まれすぎていたなと思います。
人に磨いてもらった4年間でした。
自分がダイヤモンドになれたのかは分かりませんが、4年間の思い出は間違いなくダイヤモンドのように輝いています。(最後に少しキラキラしすぎることを言ってしまいました)

後輩へ、君たちは輝くダイヤモンドの原石です

そして、ここまで読んでくださった中には私の連絡先を持っている方も多いと思うので、「読んだよ」と連絡をください。(偉そうに連絡させる側で申し訳ありません)
ありったけの感謝を伝えに会いに行かせていただきます。
この4年間で、熱い話し合い、誰かのためになる活動、責任ある任務が大好きになりましたので、もしそのような機会があれば、ぜひ誘ってください。

4年間本当にありがとうございました。
ブログも最後までお付き合いいただき、ありがとうございました。

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